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ブラザー・スイスルーブ80年の歩み

Blaser Swisslube
2016-10-13 09:00 1689

「サービスを提供することは収益よりも大切なことである」 - これは金属加工油メーカーであるブラザー・スイスルーブが設立80周年を迎えるにあたり、掲げたモットーです。すべては1936年に誕生した靴クリーム「Blaha-Glanz」から始まりました。それ以降、多くのことが起こりました。スイス、ハスレ・リュグソウの家族経営の会社は、地元の小さな企業から、世界規模で事業を展開する大企業へと成長しました。自社の技術センターでは、社員が研究開発に正面から取り組んでいます。そしてこの取り組みが先日得られた民間航空機のプロジェクトでの画期的な結果につながりました。

当社の前身であるBlaser+Co. AGが初めて生産を成功させた製品は撥水性のある靴クリーム「Blaha-Glanz」でした。この製品は、周辺地域の農家の方に販売されました。世界経済が危機的状況下にあった1936年、ウィリー・ブラザーは現在のブラザーグループの基礎を築きました。絵画の取引を学んだ20歳のウィリーは学んだことを活かせる仕事を見つけられず、実家で社員一人の会社を立ち上げました。この会社でウィリーは特に農業向けの潤滑油や化学技術製品を生産していました。戦争が続く中原料が不足していたため、忍耐こそが当時の風潮でした。

ウィリーの会社が好転し始めたのは、終戦後でした。顧客基盤が農家だけでなく、機械工場や建設業界、木材や金属加工業界、第一次産業の工場へと拡大しました。「会社を立ち上げた時と同じパイオニア精神を示すことで、会社を拡大し続け、製造工場を増やし近代化し続け、研究開発の水準を引き上げ続けるため、たゆまぬ努力を行ってきました」とウィリーの孫であり現社長であるマーク・ブラザーは話します。

1974年、ピーター・ブラザー(2010年より取締役会会長)は父ウィリーよりバトンを受け継ぎ、2代目社長に就任しました。機械エンジニアとして、ピーターは自社の製品ラインに金属加工を取り入れ、ヨーロッパをはじめとする海外への販売拠点の拡大に乗り出しました。世界展開に向け、社名もブラザー・スイスルーブに変更されました。1981年にはニューヨーク州ゴーシェンにブラザー・スイスルーブ・インクが設立されました。1995年と1996年には、ドイツ、チェコ、日本に子会社が設立されました。現在、ブラザー・スイスルーブは世界約60ヵ国に子会社と代理店を有しています。また、スイスで業務に従事している300名の社員を含め、計600名の社員を擁しています。

ブラザー・スイスルーブは、2016年11月17日から22日に東京で開催されるJIMTOF2016(日本国際工作機械見本市)に出展する予定です(ブースE6007、ホール東館)。

(日本語リリース:クライアント提供)

ソース: Blaser Swisslube
キーワード: 銀行/金融サービス